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異変続き

 北海道の地震、ビックリしたね。昨夜は結局眠れなくて、朝まで寝床に寝転がって本を読んでいたのだけれど、3時過ぎになんか気持ちの悪いグズグズした地震があって、イヤな感じだなと思っていたら、これだったんだね。
 停電したり、電車が走らなくなったり、北海道でこんなことは初めててらしいね。原発がバクハツしなかったことが不幸中の幸いだね。
 昨年度の生徒の一人が、第一志望を北大にしていて、合格したんだよね。「これで東京を離れられて、ミサイルも地震も安心ですよ」なんて悪趣味な冗談を言っていたけれど・・彼、大丈夫かな。
 心配しているよ。

 それにしても、異常な暑さが続いたり、ついこの間は台風で、怪獣映画でしか見たことのないような、車がゴロンゴロンと吹き飛ばされる光景を目の当たりにしたり、そうして今度はこれだもの。
 異変、天変地異続きで、本当に不安になってしまうね。

 自然現象だけでなく、この国のマツリゴトの有様も、ありえないような惨状を呈しているね。
 いっぽうで今年限りで平成が終わってしまうけれど、恐ろしいことだと思っているよ。
 平成天皇の抑止力がなくなってしまったら、歯止めが利かなくなった連中が今後どんな方向へ進んでいくことやらと思ってね。
 日本で一番エラいのはトランプ大統領になってしまうね。

 おれなんかは天涯孤独の身だし、もう隠居して、死を待つのみって感じだからまあ、いいけど、子供たちは今の日本のエラい人たちなんて参考にせずに、しっかり勉強して賢くなって、これからの世の中を生き抜く知恵をつけていってほしいと願っているよ。
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雑談

 昨日書いたとおり、ヒマができたので今後はできる限り毎日、下らないことでも見つけてここに書きつけていきたいと思っているよ。
 釣りに行った日だけは別にそのためのブログがあるんで、こちらはお休みにするけどね。
 こっちはもっぱらインドア趣味と、仕事や生活のことを書いていくよ。

 8月に一度、心機一転するつもりでこのブログ、レイアウトを変えたんだよね。
 ところがそれ以来、アクセス解析を見るに、一人も、一度として、アクセスがあったためしがない。驚いたことに、一ヶ月くらい、誰もこのブログを見に来なかったんだよ。
 釣りの方は少ないとはいえ、毎日誰かしら見に来てくれているらしいのにね。
 なのに、こちらはまったく誰の関心も引かないみたいなんで、正直へこんでしまったよ。

 ところが、昨日久々に更新して、見てみたら、やっぱりアクセス0なんだ。
 最低でも、自分はアクセスしているのだから、1にはなってないとおかしい。で不審に思って見てみたら、レイアウトを変えた際に、アクセス解析のタグを入れ忘れていたってことに気づいたよ。
 まったく、我ながらあまりに間抜けで、愕然としてしまったよ。
 
 まあ、タグを入れていても結果はそんなには違わなかったかもしれないけどね。

 * * *

 借金を返して、貯金がゼロになったので、衝動的にSACDプレーヤーを買ってしまった。
 こういうことは良くある。生活が苦しくなると却って浪費してしまうんだよね。

 で、SACDを手持ちの今までは聴けなかったやつとか、図書館で借りたやつとか、聴きまくっているのだけれど、やっぱり、SACDっていいね。数年前からハイレゾへの買い替えは進めていて、PCMの24bit96khzがSACDのDSDとほぼ同等のデータ量ということは承知しているけど、音の感じは相当に違う。これがメーカーの戦略で、音の傾向を変えて両方買わせようと言う魂胆なら、それはかなり賢いやり方だと思うけど、まあそんなこともあるまいね。レーベル問わず、国内盤、外盤ともに同傾向なんだから、これはPCMとDSDの音に違いというのがやっぱりあるんだと考えていいと思う。

 ごく簡単に言えば、PCMハイレゾはパリッとした、輪郭鮮明な音になっている。一方DSDは、しっとりした音で、一聴してインパクトに欠けると感じることもあるけれど、良く聴いてみれば解像度も高いし、たぶん実際に鳴っていた音に近いんじゃないかと思われる音になっている。
 ロック系の、たとえばピンク・フロイドの『狂気』とかデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』なんかは、どちらも聴いてみたけれど、PCMのほうがいいような気がした。
 でも、クラシックで聞き比べた、クレンペラー指揮のモーツァルト後期交響曲集なんかは、DSDのほうがずっと良かったよ。
 ただ、ベームの同じモーツァルト後期交響曲集では、PCMのほうがよかった。これについては版元の違いとか、いろいろあるので詳しくは触れずにおくけど・・
 ともあれ、今後は、PCMとDSDの同一音源があったら、どちらも聴いてみて、好きな方を残すという作業をする必要があるかもね。

 そういったことも、今後は書き散らしていくつもりだよ。

 * * *

 英文読書のほうは、今年に入ってからもけっこう読んでいて、作品の出来ということとは別に、すごく考えさせられた読書もあった。でも、なんとなくここには書かずにしまった。
 今は、オラフ・ステープルドンの『シリウス』というSF小説を読んでるよ。
 実はこれ、まったく予備知識なしに読み始めたんだけれど、すぐに文体がしっかりしていて、気品があって、受験文法的に正統的な(笑)ことがとても気に入ったよ。
 で、あまりに格調高い文章なものだから、改めてググって調べてみたら、これ、1940年代のイギリス小説だったんでビックリしてしまった。古典だったんだ・・・てっきり、60年代くらいのパルプ小説かと思っていたんだけど。ステープルドンという人も専業のSF作家ではなくて、哲学者だったらしいね。それはこの小説の内容からしても十分納得がいったよ。
 話はタイトルから連想されるスペースオペラ的なものとはかけ離れていて、シリウスという名の、人間と同等の知性を持った犬の話。
 いま150ページくらい読んだところだけど、ごく正直に言って、シリウス君の陰湿な性格には参ってしまったよ。
 賢いのはいいんだけど、考えていることが対人関係の微妙な齟齬とか、不当な扱いをされたとか、犬の人間への従属的地位への憤懣とか、そんなことばっかり。本当に、正しく、犬みたい。
 これが知的な猫の話ならば、当然、超然と人間世界のつまらぬ事情を見下して皮肉るというスタンスになるだろうね。我輩しかり、ムルしかり。
 それが犬だと、人間社会に同化したいけど同化しきれない、扱いにも不満がある・・なんて話になるんだね。
 なんだか高学歴だけど社会不適応のニイチャンがバイト生活まで落ちぶれて、もっと自分をちゃんと扱えよ! と社会に向かって吼えているような話に思えて仕方がない・・(同族嫌悪?・・ハハハ)
 でもこれ、けっこう評判いいんだよ。シリウスがいじらしいとかなんとか・・犬派と猫派って本当に感性が違うのか、それともラストまで来れば感動的なのか、確かめるために全部読むつもりでいるよ。
 本当は、宗教のくだりの手前あたりでやめようかとも思ったんだけどね・・

 * * *

 今日はもうひとつの外仕事で、高校生たちに英語を教えてきたよ。
 こっちもけっこう・・な職場なんだけど、生徒たち、教えることに関して不満はないよ。
 この仕事でなんとか、生計を立てられて、ついでに売れないけどいい本を出せるだけの経済的余裕と、翻訳やら創作やらができるだけの時間的余裕が得られれば・・と思えてやまない。
 本当は自分のところでやりたいんだけどね。そうすれば、間がなくて両者とも経済的にも満足がいくだろうし、最も効率的に「できる」ようになるやりかたも気兼ねなく実践できるようになるだろう(いまはカリキュラム作成とかがあるので、どうしても文法項目順にやることになるが、文法ばかりやっていて出来るようになった例は寡聞にして聞かない・・)
 自宅でやればいいのかもしれないけど、どちらにとってもいろいろと問題がある。なので教室を別に構えるのがベストだろうけれど、それは当面無理だから、家庭教師みたいな形態がベターなのかもしれない。しかしどうやって生徒を集めるか?
 このブログで知ってくれればいいが、なにせ訪問者ゼロだもんね・・・
 いろいろ考えることも多いが、こちらはこのまま、続けていくつもりだ・・

 * * *

 そんなこんな、今後とも書き散らしていくので見に来てくださいな。

8/1の夢

 昔のデパートのような薄暗くて雑然としたビル。学校として使われている。私はずいぶん長くそこの学生である。学園祭が近づいている。学園祭といってもそのビルがある町が一丸となって執り行う大規模なもの。すでにビルの中にはいろんな屋台が並んで賑やかだ。
 私は町に用事があって出かけることになった。同行者が必要なので、数階下のクラスの、以前仲良くしていた少女を誘おうと思って階段を下りていく。
 少女のいるフロアは机の類がすべて取り払われ、天井には色とりどりの飾り付けがされて何か演芸会の会場のようになっている。ここもまた人でいっぱいである。入口に立ち、少女の姿を探していると、ほかの女子たちが親しげに声をかけてくる。みな顔見知りで、こちらに注意を向けてくれるのは嬉しいけれど、以前に仲良くしていて今は離れてしまった少女をまた誘いに来たことが知られてしまうのは具合が悪い。
 それに、昔のように気安く一緒に出かけてくれることも期待はできないのだった。冷たく断られるかもしれないのだから、ほかの子たちにそんなところを見られたくはない。
 いちど出直そうと思って階段をさらに下り、ビルの外に出る。
 ビルの一階は吹き抜けになっていて、湯気がもうもうと立ち込めている。何事かと思って見ると、床が小さな長方形に区切られ、それぞれ足首くらいまで浅くお湯が張られていて、いくつかには屈強な男たちが腹ばいになって沐浴をしている。灰色一色でコンクリートがむき出しになっているのかと思ったが、よく見ると一面に石灰のような凝固したものがこびりついていて、灰色なのはその色なのだった。
 大きな柱を回りこんで様子を見に行くと、柱に取り付けられた蛇口からからお湯があふれ出している。ここは温泉で、それも相撲の力士専用なのだと説明書きにある。道理で屈強な男たちばかりだと思って見回すと、男たちはみな一様に黒い口ひげを蓄えた、トルコ人ばかりであった。
 階段をまた上りながら、昔、当たり前のようにいつも傍らにいてどこへ行くにも一緒だった少女の様子を思い出して、強い喪失感に襲われる。
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