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ニック・メイスンの『Inside Out: A Personal History of Pink Floyd』を読了

 ピンク・フロイドのドラマー、ニックが著したピンク・フロイドのクロニクルを読了。正月一日から読み始めたので、けっこう時間がかかった。特にマネージメント関係の話題中心の前半部分にてこずったものの、Dark side of the moonの頃から快調に進みだし、The Wall以降はあっという間に読んだ。面白くて、熟読した。

 この本、けっこう以前には入手していたもののいつでも読める気がして放置してあった。それを手に取ったのは、昨年来数度目のフロイド・ブームが自分のなかに到来していたため。直接のきっかけは昨年出たロジャーの20年ぶりの新作が素晴らしかったことも大きい。
 とはいえ私はロジャー派ではなく、このバンドのファンの派閥みたいなものがバレット信者、ロジャー・ニック派、ギルモア・ライト派に三分されるとしたらギルモア派だろう。夭折の美学には子供の頃からハマらないし、イカツイ理屈や社会問題よりは感覚美に耽溺してその先を覗き見したいほうなので。
 そしてこの本の面白かったところも、物足りなかったところもそうした私の好みに直結している気がする。

 好きなバンドの話なのだから基本的に興味深いのだが、構築的知性の勝ったニックの興味はもっぱら「段取り」にある。とあるライヴの開催にこぎつけるまでに、どんな手続きを踏み、人脈を用いるか。その過程でどんな出来事があったか。また、会場の演出のためにどのような技術を用い、そのためにどんな工夫をしたか。
 話題はそういったことが主になり、メンバー間の人間関係も、もっぱら「段取り」をしていく過程でのすれ違いや協力関係といった観点から語られる。
 うーん、どっちかというと、このアルバムを作る際にはどんな製作過程があって・・とか、この曲はこういう意図で作られた、みたいな話が読みたかったんだけど・・

 そういった興味がある程度満たされるのは、ギルモア・フロイドとなった後のDivision Bellの話題くらいなのがいささか物足りない。それだけ、ロジャーの独裁体制が強固だったのかもしれないが音楽面ではギルモアやリックの視点からの話も読みたい気がした。

 意外で、笑ってしまったのはDivision Bellの収録曲を決める際の民主的手続きのくだり。メンバー3人が各候補曲を10点法で採点し、合計点が高いものを選ぶことになる。するとリックは、自分の曲にはすべて10点を投じ、他には1点も入れない(!)という作戦に出て、他のメンバーが気づかないうちに、いつの間にかDivision Bellはリックのソロ・アルバムの様相を呈していった・・というところ。あの人がよくて控えめなリックがこんなことしてたとは・・とかなり面白かった。この本のなかでは他でもリックは「空気読めない」キャラとして描写されている。
 そんないじり方をしているぶん、最終章でのリックの死を悼むくだりはひときわ痛切で、感動的だった。この本の白眉はこの初版刊行後に付け加えられた終章であると断言しても差し支えないだろう。ロジャーとの再会、ライヴ8での再結成のいきさつ、そしてシドとリックの死で締めくくられるこの章だけでも、気軽に日本語で読めるような形になんとかならないものかと思われた。

 かなりごたごたの多いバンドなのでいくらでもセンセーショナルに書き立てられるような話題も多いものの、筆者の人柄で全体に余裕のある、乾いたユーモアの勝った筆致でどんな話題もドロドロしないし、自慢も恨みつらみもない。若干、ご自分を低く見積もりすぎではと思われるところもあるけれど、それも余裕なのだろう。

 段取りの話が長いこと、イギリス英語でやや読みにくい(「文法」からはみ出した表現や慣用表現が多い、辞書にも載ってない語彙が多い、文学的なのかとっ散らかった文章なのか判別しがたい)ことなどからだろうか、邦訳は出ていない。これは訳すの大変だろうな~写真だけでも一見の価値はあるので、同好の士はペーパーバック版でも手に入れられてはいかがだろうか。
 
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"Flash Fiction: 72 Very Short Stories"を読了

 James Thomasほか編の"Flash Fiction: 72 Very Short Stories"を読了。平均して一編が2ページほどのごく短い小説を72編集めたアンソロジーで、数編の翻訳物を除きほぼアメリカ人作家の作品ばかり集められている。
 72編のうち、面白かったのは数編のみ。他は退屈だったり、未完成か粗筋にしか思えなかったり、まったく意味が分からなかったり、文章すら読み解けなかったものもいくつかあった。
 語学力の問題・・もあるのだろうけれど、そもそも「掌編小説」に対して抱くイメージが、あちらとこちらとでは根本的に違うのではないかという気もしないでもなかった。作家ごとにいろんなパターンの作品が並んではいるのだけれど。
 個人的に面白く感じたのは、最初と最後に出来の良いものが集中しているように思われたこと。最初の数編と、61番以降はだいたい面白く読めた。

 備忘のために、中でも気に入ったものを列記してみる。

"Brilliant Silence" Spencer Holst
"The Lampshade vender" Allen Woodman
"Wedding Night" Tom Hawkins
"I Get Smart" Pamela Painter
"Grace Period" Will Baker
"How to Touch a Bleeding Dog" Rod Kessler
"The Sewers of Salt Lake" Francois Camoin
"Deportation at Breakfast" Larry Fondation

 どれか一編と言われれば、最初のスペンサー・ホルストのもの。
 知っている作家、カーヴァー、アップダイク、コルタサル、オーツ、オブライエン、ヘミングウェイなどはどれもいまいち。カーヴァーやオーツは他にもっといいものがある。ヘミングウェイはなぜか特別枠で最後に取り上げられているが、まったく面白くない。
 再読することがあればたぶん他にも面白く読めるものは増えるかもしれない。一読して気に入るものは、だいたい幻想的なものが多いのは完全に個人的な嗜好で、あまり一般的ではないかもしれない。

 

シャフラーネクの『ボフスラフ・マルティヌー 人と作品』を読了

 ミロシュ・シャフラーネクの『ボフスラフ・マルティヌー 人と作品』をようやく読了。断続的に、半年くらいかかった。薄い本なのだけれど。

 マルティヌーはお気に入りの作曲家の一人で、大学時代に不思議な響きに魅了されてから、二年に一度くらいの周期でときどき無性に聴き込みたくなる、いつも聴いているわけではないものの欠かせない存在。ところがいつまでたってもいまいち掴みどころがなく、全体像が見えてこないのは、第一に作品が400前後と膨大なことと、第二には、日本語で読めるまとまった資料がほぼ皆無であることが原因なのではないかと思っている。
 英語で読める資料もそんなには多くない。私が持っているのはこのシャフラーネクの伝記の英訳と、6つの交響曲を分析した大部の本のみ。ドイツ語のハルブライヒの研究書も持っているけれどまったく読めない。数年前に「発達障害の観点から見た」とかいう新しい伝記が出たのだけれど、なんとなくありがちな、牽強付会な論が長々と書き連ねられているんじゃないかというような気がして、買わずにしまった。でも、今はもう絶版で手に入りにくいようなので、買っておけば良かったかもしれない。

 このシャフラーネクの伝記は古典的な本でその筋では有名なのだけれど、作曲家存命の時期に書かれた本なので、今から見ると「未完」の作品であると感じざるを得ない。その点でリファレンスとしてはすでに失格に近い上に、記述が粗くて、伝記としても研究書としても中途半端な一冊であった。結構重要な伝記的事項がいろいろと抜け落ちているようで、パリで師事したはずのルーセルもほとんど出てこないし、なんか、マルティヌーをお世話した人や曲を演奏した人のことはたくさん出てくるが、作曲家としての発展に関係した師や同輩や弟子のことなどは出てこない。弦楽四重奏曲第5番の成立に深く寄与した、その他にもいろいろあったはずの弟子の女流作曲家カプラーロヴァーも、彼の手稿を持ってるとかなんとかの、一言しか言及されてない。

 著者はマルティヌーの友人か、取り巻きの一人だったのだろうか? 記述がいかにも浅いし、無用と思える賞賛の言葉などが多い。アメリカで大成功を収めたのが事実なら、その原因(「楽観主義がアメリカ人の気質に合致した」では説明にならないだろう)も分析してほしかった。そういう記述があってこそ、いまや聴衆にほとんど忘れられている理由も見えてこようというものだが・・

 そんなこんなで、あまり参考にはならなかった。翻訳して日本語で読める初めてのまとまったマルティヌー紹介の本にしたいとも思っていたけれど、ちょっとこれでは・・。もともとこれはチェコ語の本で、チェコ本国を早くから離れ外国で成功を収めた作曲家を、自国の誇りとして逆に紹介するという意図も込められていたのだろう。その点では重要な本だったのかもしれない。
 

このごろの読書

 雨ばかり降り続いて、どこにも出かけられず、家の中でくすぶっている。屋内にばかりこもっていると少しストレスが溜まる感じがする。

 受験生に英語を教える仕事では、夏休み明けごろから大学の過去問を演習するのが主になって、赤本を予習しなければならないのだけれど、赤本の無選別の問題には悪問もたくさんあるのでどうしてもやる気になれないものもあり、英語にはいささか食傷気味。大学入試の英語長文問題は雑学的なものが多くて面白いものも多いけれど、ネットから適当に引っ張ってきて適当にこしらえたような内容空疎な長文問題も増えている。国語と違い外国語がまとまって載っているとそれだけで何か大層なもののように見えるのがいけないのだろう。昔はよくあった名著からの引用のようなものはほとんどなくなった。出題される英文は非常に平易化しているが、長くなっている。悪問を長々と読まされるのは疲れてしまう。

 洋書は「Flash Fiction: 72 Very Short Stories」という一編2~4ページくらいのごく短い短編小説を集めたものと、サローヤンの「Boys and Girls Together」、そしてずっと前から中断しながら読んでるシャフラーネクの「Bohuslav Martinu - The Man and His Music」の三冊を平行しているが、「Flash Fiction」は冒頭のスペンサー・ホルストの「Brilliant silence」が良かったので期待したものの、ほとんど面白くない。ごく短い小説は概して日本人作家のほうがうまいようだ。もう一冊のサローヤンは正直言ってくだらない。若い妻に飽き飽きした博打好きの中年作家の日常生活を描いている。半分以上読んでしまったので読了するつもりだが、このまま最後までこの調子だったらガッカリである。サローヤンってこんな作家だったっけ。昔、けっこう楽しんだ記憶があるが・・生前人気があって没後急速に忘れられた作家だが、これじゃそれも仕方がないなという感じではある。

 そんなこんなで、シャフラーネクの「Bohuslav Martinu」が相対的に面白くなってはかどっている。第二次世界大戦が勃発して、アメリカに散々苦労して避難したマルティヌーが、交響曲やヴァイオリン協奏曲などの大作を次々と完成していくというところで、この本のクライマックスといえる部分なのでそれは面白いのだが、問題はこの本、作曲家の生前に書かれた本なので、伝記としてはまったく、不完全なのだ。この本で言及されているのは交響曲第三番あたりまでじゃないだろうか。その後が面白いところなのに・・
 マルティヌーは好きな作曲家で、周期的にたまらなく聴きたくなる時期がやってくる。人気があるとはとても思えないのだが「音楽家のための音楽家」のような存在らしく音源は豊富にあるので聴くには困ることはない。ただいかんせん日本語で読める資料が少ない。一冊丸々マルティヌーを扱った本はないのではないだろうか。なのでこれを訳そうかと思ったのだけれど、これでは未完で片手落ちだし、伝記としても楽曲解説としてもやや中途半端な感じのする本なのだった。

トーベ・ヤンソンの"The Summer Book"を読了

 トーベ・ヤンソンの"The Summer Book"を読了。今年は洋書、これでようやく10冊。

 ムーミンで知られるヤンソンだけど大人向けの小説も書いていて、これはその一冊。もっとも邦訳の『少女ソフィアの夏』は図書館などでは児童書扱いのようではあるが。
 私は『ムーミン』のシリーズも大好きだったし前に読んだ普通小説"The True Deceiver"(邦訳の題は『誠実な詐欺師』とあるが、内容からしても『ほんとうの嘘つき』のほうがいいんじゃないの? と思う。まあ英訳を読んでいるので原題のことは分からないけど)がとても面白かったので、苦手な短編集だったけど読んでみた。英語で短編を読むのは長編よりしんどいことが多い。文章や構成が凝っているから。
 この作品は、フィンランドの小島を舞台に6歳の少女ソフィアと70代のお祖母さんとの交流を淡々と綴ったもの。筋の起伏があまりなく、会話も少なく、繊細な情景描写が多いので読むのにはかなり時間がかかってしまった。短編連作なので、すぐに入り込めて楽しめたものと、よく分からないもの、ほとんど理解できた気がしなかったものまであった。
 トーベ・ヤンソンの登場人物って、ムーミン谷の方々をはじめ、ものの考え方が一般的日本人にはちょっと追いきれない思考回路を持つ人が多いような気がする。会話が、かみ合っているのか、ないのか、こちらで理解できているのか、ないのか、よく分からなくなることがよくあった。
 特に"The Visitor"、前半でお祖母さんが元気をなくしてしまってソフィアと仲違いする経緯も、後半での旧友との会話も、ほとんど理解できなかった。
 今度、図書館で訳本を借りて確認してみようと思う。

 というわけで、これは、散文詩のような、美しい、でも難しい本でした。

 次は、いろんな作家の非常に短い短編のアンソロジー"Flash Fiction: 72 Very Short Stories"を一日一篇ずつ読んでいく傍ら、何か長編を読もうと思っていた。というのも、いつも一冊読んだ後は次を見つけるのに時間がかかり、読みかけては中断し、次を物色してはまたやめ・・ということが多いから。
 先日ジョン・スコルジーの『老人と宇宙』シリーズを2冊読んだので3冊目に入るか、同作者のスター・トレックのパロディみたいなやつを読むか・・と思っていたところ、ふと読みかけたウィリアム・サローヤンの"Boys and Girls Together"という小説がけっこう面白く読めるので、もしかしたらすんなりこれを読み進めることになるかもしれない。
 しかもこれは未訳のようなので、面白ければ訳してみようかとも思ったりしている。

 とはいえ翻訳はもちろん、組版も、装丁も仕上がっているアンジェラ・カーター『英雄たちと悪漢たち』も放置したままだし、シャフラーネクの『ボフスラフ・マルティヌー』も訳そうと思いながら途中で打っちゃったままである。
 今年はいろいろ、サボったままハゼ釣りばかりしている・・

アゴタ・クリストフの三部作を読了

 Agota Kristofの三部作"The Notebook" "The Proof" "The Third Lie"を読了した。ハンガリー人亡命者の著者がフランス語で書いた本の英訳版。一冊のペーパーバックに三作入っていて、一作あたりおよそ160ページほど。短いこともあるけれど、文がきわめて平易でスラスラ読めた。特に一作目の"The Notebook"(「悪童日記」)は中学生でも余裕で読めそう。内容はなかなか過激な描写などもあり教材向けではないかもしれないが、大人が英文読書の導入にするには最適なんじゃないかと思われた。一作ごとに少しずつ難度が増していくのも教材向けだ。
 前回「幼年期の終わり」を読了して次は何を読もうかと考えたとき、当初取り上げたのはJames Morrowの"Shambling Towards Hiroshima"という、第二次大戦中、アメリカが巨大なトカゲ型決戦兵器を開発して日本を攻撃しようとする話。フザけた話のようだったので読み始めたが、作中延々と当時のB級モンスター映画の楽屋裏話が続き、あまりにも理解不能だったため途中で挫折。続いてClifford D. Simakの"The Werewolf Principle"を読み始めたが、こちらも読みにくい割に内容が古い感じがして、続かなかった。これらを読みながら、同時に息抜きのように少しずつ読み進めていた"The Notebook"のほうに結局没入する次第となった。
 文章は平易なのに、内容は深く、小説の醍醐味を味わうことができた。三作のうちではある種寓話的、神話的な象徴化が感じられる一作目が最も出来が良く、巻が進むにつれてややナマなリアリズムと「謎解き」の興味に頼るようになる。三作は一応続き物の体裁を取っていて、力技的にツジツマも合わせてあるが、むしろ一つのモチーフを三回語り直したもののようだ。リアリズムの色が濃くなるにつれて作品世界は暗鬱になり、絶望的に閉ざされていく。最初から状況は絶望的だったが、それを一見軽々とはねのけて痛快さのあった一作目がやはり読んでいて一番面白かった。
 とはいえ一作目は上記の理由もあり読了までに13日かかり、二作目"The Proof"(「ふたりの証拠」)は10日、三作目"The Third Lie"(「第三の嘘」)は6日とだんだん短くなっていったのは、やはり面白くて、本を手放せない感じになっていったのだと思う。全部読み終えた今は、読み終えてしまったことと、内容から来る二重の喪失感に打ちのめされた気分だ。
 全くの偶然なのだが、「悪童日記」の映画が、ちょうど公開されたばかりなのを知ってビックリ仰天した。なんというタイムリーなこと・・これは観に行かねばなるまい!!

Arthur C. Clarke "Childhood's End"を読了

 Arthur C. Clarke "Childhood's End"を読み終わった。29日かかった。
 「幼年期の終わり」、SFというジャンルの「最高傑作」に近い位置づけらしい。僕はクラークは中学生の頃に「2001年宇宙の旅」を読んで、さっぱり訳が分からなかった。たぶん子供には難しいのだろうと思ったが、高校に入ったらSFからは興味が離れたので、以来縁もなく今まで過ごしてきた。
 今回久しぶりにこの作家に接したが、「分からない」というより「肌が合わない」のだと分かった。
 面白くなかった。今年原書で読んだSFでは四冊目だったが、ダントツで最下位。SFにもいろいろあるが、これが本当に正統派のSFなんだろうか。科学的な事象を描くのが主眼で、登場人物はそのための駒として動く。P.K.ディックのような、特殊な境遇を設定した上で人間を描く、文学寄りの作品が僕には面白いのだと分かった。
 タネあかしをするとつまらなくなる作品なので内容には触れないが、SFといいつつ非常にオカルト寄りなのも面白くなかった。最後は、昔からアニメ映画などによくある大風呂敷で、ああいうの、昔から受け付けなかったんだけど、これがその元ネタだったとは・・
 文章は平易で、カッチリした論理的な文だが台詞になると難しかった。こういうのはちょっと珍しい。面白いと思ったのは、台詞で誰かが冗談を言うと、ほとんど常に地の文で「そんな冗談を言った・・」と解説が入る。冗談が好きなようだがいちいちこうして説明せずにいられないところ、理系の人らしいなと感心(ちなみに、普通の小説ではユーモラスな部分は説明ではなく、笑えたりするのでそれと分かります)。そしてその「冗談」が読み取るのに一番苦労した部分だった。
 SFにせっかく再接近しているので、基本文献はとりあえず押さえたいと思っているから、読んで良かった。たぶんまた読むことはないだろうけれど・・

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