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Quatuor Van Kuijk

 Quatuor Van Kuijkという弦楽四重奏団の音源を聴いた。まったく未知の団体で、団名さえ読めない。最近は若手の弦楽四重奏団が雨後の筍のように出てきていて、どれもがたいてい非常に巧く、聴き栄えがするという嬉しい状況なので未知の団体でもあまり不安はないが、これはレーベルが私のお気に入りの「α」なので期待したら、果たしてとてもとても良かった。
 聴いたのはドビュッシー・ラヴェル・ショーソンを集めた一枚。特にドビュッシーが素晴らしかった。
 モーツァルトを入れたものも入手したので楽しみに聴こうと思う。


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9/8(月) 都響・フルシャのマルティヌーを聴く

 サントリーホールにて都響のB定期を聴く。
 曲目等は以下の通り。

東京都交響楽団第774回定期演奏会

指揮:ヤクブ・フルシャ

マルティヌー:交響曲第4番

休憩

マルティヌー:カンタータ「花束」
  ソプラノ:シュレイモバー金城由起子
  メゾソプラノ:マルケータ・ツクロヴァー
  テノール:ペテル・ベルゲル
  バス:アダム・プラヘトカ

 ずっと聴きたいと思っていたフルシャのマルティヌー、今回初めて聴けたのでうれしい。もう何年も前から交響曲を中心に少しずつ進行しているシリーズで、いつも気になっていたのだけれどスケジュールが合わず、一度も聴けずじまいだった。大好きな交響曲第3番を聴き逃したのは未だに悔やんでいる。
 今日は雨の中、少し遅めに出かけていったら気がはやったのか地下鉄の乗り継ぎを間違えてしまい、危うく今回も聴き逃すところだった。さいわい開演時間を少し過ぎてしまったものの間に合い、席に着いて、息を整えているとまもなく開演。前半に交響曲というのは少し珍しいプログラミング。曲の規模の関係なのだけれど、こちらも30分以上の曲で決して小規模ではない。演奏はとても良かった。CDではあまり耳に入ってこない精妙な、幽玄な響きにもハッとさせられた。独特のうねうねした素材の発展も実演で聴いた方がしっくりくるようだ。これはマルティヌーの6曲ある交響曲のうち、5番目くらいにお気に入りの曲なんだけど、今後はもっと愉しんで聴けるだろう。
 それにしても、滅多に実演で聴けないマルティヌーの交響曲を、こうしてほぼベストの布陣で聴くことができたのはうれしいとともに、やっぱり3番を聴き逃したのが改めて残念に思われたのだった。チェコ・フィルも来るたび新世界ばかりやってないでこういうのを持ってきてほしい(まあムリだろうな~)
 今夜の白眉は「花束」のほう。これは本当に面白かった。何に似ているかと言えばたぶんヤナーチェクの「わらべ歌」に一番似ているのだろうけれど、民衆詩に材を取った歌詞はマーラーの「少年の不思議な角笛」を思わせるし、オルフのようでもあるし・・。オーケストレーションは色彩豊かで、時々入るハルモニウムの鄙びた響きもいい。歌は徹頭徹尾現世的で、マーラーのように時々彼岸へ思いをはせたりはしない。男に会いたい一心で弟を毒殺する娘の歌や(「イェヌーファ」的リアリズムではなく、なんだか人を食ったような雰囲気)、刑務所から助けを求める男を家族は見捨てたが恋人が身代金を出してくれた歌とか、働き盛りの男が死に神に出会って有無を言わさず連れ去られてしまう歌など。投獄された男の歌はオケの最後の盛り上がりがすごく、「大地の歌」のようだったが歌詞が「恋人が身代金を出してくれた~」みたいなものなので笑いをこらえるのに苦労した。軽く扮装した児童合唱がニコニコしていて可愛かった。ツクロヴァーさんもクリムトの絵から抜け出してきたようで美しかった。
 これはマルティヌー入門にはベストなんじゃないだろうか。マルティヌー特有の乾いた感じがなく、生気に満ちているのは「典型的」とは言いがたいけれど。帰宅してすぐネットでCDを捜したが、既に所有しているアンチェル指揮のモノラル放送録音しかないようで、どんなマイナー曲でもすぐ手に入る昨今には珍しいことでびっくりした。
 ここは是非、今夜の演奏をCD化して発売してほしい! これくらい世に出す価値のある音源は滅多にない! と強く思われたことだった。

12/19(木) 都響・インバルのバルトークを聴く

 東京文化会館にて都響のA定期を聴く。
 曲目等は以下の通り。

東京都交響楽団第762回定期演奏会

指揮:エリアフ・インバル

バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番
  ヴァイオリン:庄司紗矢香

休憩

バルトーク:歌劇「青ひげ公の城」
  メゾソプラノ:イルディコ・コムロシ
  バリトン:マルクス・アイヒェ

 このプログラムはもともと2011年3月に予定されていたのが、東日本大震災の影響で公演中止になったもの。その年のプログラムでいちばん楽しみにしていたので残念だったから、こうしてやり直してくれて嬉しい。今年は定期会員にならなかったので、一回券を買って聴きに出かけた。
 庄司紗矢香さんを聴くのはこれで二度目。本当はこのプログラムではじめて聴く予定だったが、上に記した事情でその後の同じ都響とのシマノフスキが最初になった。そのシマノフスキが今も強烈に印象に残る素晴らしいものだったから、今回も非常に期待していた。
 今回のバルトークもとても良かった。何より印象に残ったのが楽器が野太い音で朗々と鳴り響いていたことで、変な例えだが、CDなどで聴ける協奏曲のソロみたいだと思ってしまった。実演だと往々にしてソロがオケの影に隠れたようになってしまうことがあるが、今回はまったくそんなことはなかった。楽器が、好きな往年のヴァイオリニスト、ミッシャ・エルマンの使っていたストラディヴァリ「レカミエ」であることも感興深かった。
 演奏はとてもスマートな洗練されたもので、あまりに巧くてスイスイと進み、とんでもない難曲であることを忘れさせるもので、さすがにもうちょっとゴツゴツしたところがあったほうが面白いかも・・と思っていたら、最終楽章に入って俄然、表現が濃厚になり、猛烈な盛り上がりとともに終演。あまりに凄くて呆然としてしまった。目立ったマイクなどは設置されてなかったからCD発売はないだろうか・・インバルの公演はいつもCDで出るのだから、これこそ出してほしいと思わされた。
 あと印象に残ったのがハープ。ものすごく目立っていたし、曲中、実にいいアクセントになっているんだと分かった。
 終演後、ハンガリー民謡の素敵なアンコールあり。民謡と言っても全然素朴じゃなく、そのままバルトークの世界につながっていくような、そして技巧的な面白いものだった。

 「青ひげ公の城」は実演は二度目。同じ都響で、そのときはCDも聴いたことがなく、本当にはじめて聴く曲だったのだが、実に異様な、今まで接したことのないものを聴いた気がして、心底感動したことをよく覚えている。
 今回は予習もしっかりしていったので、聴きどころもわかり、愉しめたのだけれど、どうも、受けた衝撃や感動は前回のほうがずっと大きかったようだ。「あれ、実演でもこんな感じだったっけ・・」とやや拍子抜けしてしまった。
 とはいえとても水準の高い、「名演」といっても大袈裟でない出来だったとは思う。
 やはりこれもスマートな、おどろおどろしさのない、インバルらしいといえばインバルらしい音楽作りだったからかもしれない。

ガラスの心

Glass.jpg


Glass heart
Violin, Maria Bachmann Piano, Jon Klibonoff
Orange Mountain Music 7006


1. Philip Glass: Sonata No. 1 for Violin and Piano
2. Bach/Gounod: Ave Maria
3. Schubert: Sonata in A major for Violin and Piano
4. Ravel: Sonata Opus Posthume


 フィリップ・グラスは好きな作曲家の一人。どの曲を聴いても同じようなものとは思うが、例の際限ない反復から奇妙な憂愁がたち昇ってくるところに中毒性がある。時々無性に聴きたくなることがあり、そんなときに取り出してきてかけるのがこのCD。グラスの作品中でも最も叙情的で、なにか切迫したもの悲しさがある。
 第一楽章は細かな動機の反復と変形からなるグラス節だが、もの悲しさが無尽蔵に増殖していく。第二楽章は非常にメロディアスで、もうこれはミニマルというのではなさそうだ。硬質な美しさが際立っている。最終楽章はエネルギッシュな無窮動的な音楽。全篇通して、人工美と情感の深さが同居していて、あまり他では味わえないような音楽体験ができる。
 あまりにいい曲なものだから、楽譜も入手した。いつか自分でも弾いてみたい。
 このCDは他にグノーの「アヴェ・マリア」とかラヴェルの遺作ソナタといった甘口の耽美的ヴァイオリン曲と、素朴で至純なシューベルトが収録されている。この曲の配置もまた、あまり例を見ない感じで一種の悪趣味が洒落ていて、ちょっとたまらないものがあるのだった。

シューベルトの二つの「第10交響曲」

 シューベルトの最後の交響曲といえば「グレート」だが、これに続く最後の交響曲が、草稿の断片を集めた綴りの中から発見されている。それがここで言うところの「第10番」で、これはシューベルトの死の直後にまとめられたカタログにも、最後の交響曲として言及されていた(とはいえ実際には「グレート」に先だって作曲されたらしく、現行の作品番号も「グレート」はD944だが、こちらはD936aと少し若い)。散逸したか、破棄されたと思われていたが、オーケストレーションされていないスケッチとはいえ、ほぼ完全な状態で残っていたという。
 この曲には、録音され出版もされている版が、大別して二種類ある。
 正確には、どちらもシューベルトの真作ではないのだが、それを踏まえて、両者のアプローチには著しい違いがある。

front.jpg
Schubert: Symphony in D No10, D936a
Orchestre Philharmonique de Liege, Pierre Bartholomee
(RICERCAR RIC023003)
 一方の「交響曲10番」は、マーラーの10番やバルトークのヴィオラ協奏曲のように、現存する断片をなるべく作曲家のスタイルに合わせて補完し、ともかくも首尾一貫した一個の作品としての体裁を整えたもの。イギリスの音楽学者ニューボールドによる版があり、私はマリナー盤と、この版のオーケストレーションをやや管楽器よりに補強したバルトロメーによる盤を持っている。どちらもいい演奏で、マーラーの10番ほどの違和感もなく、シューベルトの交響曲として素直に楽しめるものだ。ただ草稿は三楽章分しか存在しないため、マリナー盤はそのまま三楽章、バルトロメー盤は劇音楽「ロザムンデ」間奏曲第1番を流用して補完されている。

Berio.jpg
Berio: Realisations
Bergen Philharmonic Orchestra, Edward Gardner
(CHANDOS CHSA5101)
 もう一方は、現代音楽の作曲家ルチアーノ・ベリオによる補筆版で、「レンダリング」というタイトルでベリオの作品カタログに載っている。楽章は三つ。こちらの手法はより大胆である。シューベルトの書いた草稿の原形をある程度とどめたまま、楽想間の隙間をベリオの現代音楽風の経過句が埋めていくというもの。
 これが非常に面白い。一通りシューベルトの音楽が鳴り響いた後に、急に静まってベリオの書いた部分が入ってくるのだが、これがなにか、コンサート会場で、演奏会の前や休憩中に舞台にちらほら残った奏者たちが、それぞれ練習しているといったような風情の音楽。チェレスタなども入って奇妙に美しい静寂と、期待感のようなものが醸し出される。
 私が聴いたのは二枚で、一枚はノット指揮の「Epilog」というCD。シューベルト交響曲全集の一環で、この全集は私の聴いたうちでも最高のものだったが、この「レンダリング」も、シューベルトとベリオ各部分の描き分けなど非常に鮮やかで素晴らしい。
 もう一枚が上に掲げたジャケットのもので、こちらはベリオの編曲集。「レンダリング」とブラームスのクラリネット・ソナタの管弦楽版とマーラーの若書きの歌曲の管弦楽版が収められている。「レンダリング」はノットの方が鮮やかに思われる(こちらももちろん悪くはない)が、こちらのガードナー盤はマーラーがあまりによかったので、CD全体としてよりお勧めできるこちらを掲げておいた。

タンジェント・ピアノで聴くシューベルト

 タンゲンテンフリューゲル、もしくはタンジェント・ピアノという楽器をご存じだろうか。チェンバロが鍵盤楽器の主役の座をピアノへ明け渡すまでの、さして長からぬ期間に生み出された様々な鍵盤楽器のうちの一つで、18世紀半ばから19世紀初頭にかけての短い間に、ごく少数が生産されたに過ぎない過渡期の楽器であるらしい。
 この楽器を所蔵する上野学園大学のウェブサイトに解説があったので、冒頭を引用すると、
 「タンゲンテンフリューゲル(英語名タンジェント・ピアノ)は、ピアノと同様、有鍵打弦楽器だが、ハンマーの代わりに、タンゲント(英語名タンジェント)と呼ばれる木片で打弦して発音する。タンゲンテンフリューゲルは、鍵盤楽器の需要がチェンバロからフォルテ・ピアノに移りつつあった18世紀中頃に、ドイツのレーゲンスブルクで、オルガン建造家のヨーハン・フランツ・シュペートによって草案された」
 とのこと。
 この楽器でシューベルトのピアノ曲を弾いたCDを聴いた。

tangentenflugel.jpg
Schubert: Klaviermusik
(Potvlieghe Historic Recording PHI-CD97009)

 「楽興の時」と、四手のための「ハンガリー風ディヴェルティメント」が収録されている。演奏は、この楽器を復元製作したヨリス・ポトフリーヘ Joris Potvliegheと、Miyako Miyamotoという人。CD自体、ポトフリーヘの自主製作盤のようなもののようだ。
 一聴、衝撃的なほど、予想されるピアノとは異質な音。フォルテピアノのくぐもった音とはまるで違い、チェンバロ寄りの音だが、ちゃんと強弱はついている。なにか、不思議な、郷愁をかき立てられるような音だ。おもちゃのピアノのような、場末の見世物小屋にかかっていた何ともしれぬ楽器の演奏のような、ヘルツォークのヨーロッパを舞台にした小さな映画の背後に鳴っていた音楽のような音。
 速いパッセージではチェンバロに似るが、ゆっくりした部分では、東ヨーロッパの民族楽器のツィンバロンを思わせる音だ。私はこのツィンバロンが好きで、チェコの「ツィンバルカ」というツィンバロン音楽ばかり流しているネットラジオ局を家にいる間ずっとかけていた時期があった。人形町のロイヤルパークホテルのロビーで、フィドル、クラリネット、ツィンバロンという編成のジブシー楽団が演奏しているのに出くわしたこともあった。私は彼らのすぐそばに立って、ツィンバロン弾きばかり眺めていた。
 そんなようなことを思い出しながら、この奇妙な音でシューベルトが聴けたことを喜んだ。普通のピアノよりもずっと、東欧的、民衆音楽的に響くのがとても面白い。もちろん、もともとそのような要素の強い曲が選ばれてはいるわけである。
 この楽器で弾いたバルトークなども聴いてみたい。いやむしろこれに向かい自分の拙い指で、バルトークの「ソナチネ」でも弾いてみたいと思わされたことだった。

モーツァルトのピアノ四重奏曲

mozart.jpg
Mozart: Piano Quartets - Faure Quartet

 二つのピアノ四重奏曲 
 第1番 ト短調 K. 478
 第2番 変ホ長調 K. 493

 フォーレ四重奏団


 弦楽四重奏にピアノが加わったピアノ五重奏曲という曲種は、曲数は多いとはいえないものの、存在する曲の全てが名作、と言えそうなほど恵まれたジャンルで、室内楽の究極の形態である弦楽四重奏に、ピアノが華やかな彩りを添えるのだから悪い筈がない。ピアノ・トリオもそのいびつな形態が却って各奏者の名人芸を生かすことになって、楽しめる名曲が多い。ところが、その間にあるピアノ四重奏曲といえば、対照的に実に地味な存在である。名作といえばブラームスとフォーレくらいしか思い浮かばないし、それらにしたって曲は良くても人気曲の部類ではなさそうだ。
 このモーツァルトのピアノ四重奏曲が、フォーレの名作に匹敵するほどいい曲なのかどうかは知らない。ただ、録音は以前から多く出ていて、私もそれなりに多くを聴いてきた。そんなにいい曲とも思っていなかったが、悪いとも思わなかった。
 フォーレ四重奏団というのはそのフォーレの名作にあやかって名付けられたのだろう、珍しい常設のピアノ四重奏団で、メンバーは若く全員ドイツ人である。そこからして(ドイツ人なのにフランス人の名を冠している)ちょっと違和感がある上に、CDのジャケット写真がどんな層を狙ったのか分からないカジュアルさであって、聴いてみるまでは、ほとんど期待していなかった。
(付記: この文を書いた2013年当時はそう感じた、つまり、クラシックのCDのジャケットに普段着で写っている演奏家はまだ珍しかったらしい。が、2018年の今では器楽・室内楽の新譜はこういう感じのものばかりになって、すっかり普通になっている。逆に、この盤の版元であるドイツ・グラモフォンの近頃の新譜は1960年代のようなレトロ感を装ったものが多くなっていて、それがまた珍しく見えるという逆転現象が起きている)
 ところが、冒頭の数小節を聴いただけで、私にとってこの演奏は、この曲の決定版となってしまった。この演奏によって初めてこの曲の良さが分かった。
 ト短調冒頭の悲壮な全合奏があまり身振りの大きいものでなく、至って自然なのが良い(あまり大げさだとここで萎えてしまう)。リズム感がいい。合奏からまず浮かび上がるピアノの粒立ちが良くて音がきれい。そうして曲が進めば進むほど、本当に全員がうまい。時折ふわっと飛翔するようなヴァイオリンにはぞくぞくしてしまう。もう、この曲がすごい名曲、かけがえのない宝石のように思えてくる。
 直接音を生かしたタイトな、しかし適度に残響もあってギスギスしない録音もいい。
 もちろん使用しているのは現代楽器で、ジャケットからは想像しがたいほど、きっちりとした「ドイツ流」の演奏である。同世代?のアルテミスやマンデルリンク四重奏団などと同傾向の、技巧は完璧、過度な表情付けは避けて、豊かな音楽性で曲自体の良さを引き出すという行き方の団体のようだ。
 こうした演奏に出会うと、前はぴんとこなかった別のものも楽しく聴けるようになったりする。曲に対する「開眼」を導くという点で、名演奏というのはそれだけにとどまらない価値を持つものだと思う。
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