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映画『第9地区』を観る

『第9地区』

2009年 米・ニュージーランド 112分
監督 ニール・ブロンカンプ
出演 シャールト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ、ヴァネッサ・ハイウッド
★★★☆☆

 上映時から観たいと思っていたSF映画をようやく観た。
 とても、評価に困ってしまう作品だった。いいところはとても良く、反面欠陥も大きい。所詮は低予算のB級映画として楽しめばそれでいいともいえるのだけれど・・
 ただ、これを単なる「B級映画」として片付けられないのは、その設定の良さと、見せる絵の力が並ではないから。南アフリカ・ヨハネスブルク上空に突然巨大な「空飛ぶ円盤」が飛来する。人々の驚きと不安をよそに、都市上空に停泊したまま一向に何の動きもないので突入してみると、中には飢えて弱った無数のエイリアンたちが取り残されていた。彼らは救出され、一区画を与えられて難民生活をはじめるが、程なくスラム化し、以来20数年、「第9地区」は貧困と犯罪の温床として、またエイリアン自体の醜悪さもあり、あらゆる人々の嫌悪と差別の対象となってしまう。暴動も頻発するにいたって、町から離れた新しい収容所へとエイリアンたちを隔離する計画が実行されるが・・という話。
 醜くて無力な、被差別民としてのエイリアン、という設定と舞台のヨハネスブルクを見てなにかここに「人種隔離政策への暗喩」的なものを見るべきではないだろう。これは製作者側が意味ありげに見せるために思いつきで当てはめた舞台でしかない。が、絵柄としては斬新であり、手持ちカメラの映像やニュース画像などをコラージュする手法も、今となってはありきたりとはいえ、その手法がもたらす臨場感のようなものはやはり効果的に迫ってくる。
 ただ、それも徹底されてはおらず、エイリアンが屋内でやっていることなどが差し挟まれるので、不自然であり、ちょっとチープな感は否めないのだった。
 話はひょんなことから巻き込まれた中間管理職の男の冒険談として、中盤からはすっかりありがちなSFアクション映画になってしまう。でも、この映画の良い点の第一は最初に提示される設定と絵柄の良さだったが、第二はこの割り切れたアクションが実にテンポよく、キビキビと運ばれてカタルシスも意外性もあり、面白いこと。
 第三に、主人公はいるがヒーローはおらず、予定調和的な展開ではあるものの「次はどうなるか分からない」ハラハラ感は途切れず、ドライな肌触りのまま一貫すること。
 つまり、SF的なセンスオブワンダーと活劇の面白さは保障されているので、珍奇なアトラクションとしてみるぶんには、ほぼ最高の出来に達している。
 反面、欠陥の最たるものは、主人公の「感染」がまったく、意味不明で到底納得できるようなものではないこと。これはヒドイし、どだいこんな設定にせずとも話はいくらでも展開できるはずだ。たとえば地下四階の秘密を目の当たりにして改心するとか(ハリウッド流のおセンチさがそぐわないか)、「感染」でなく「汚染」にとどめる程度にするとか。だいたい、感染させる理由付けはエイリアンの武器にあるのだが、人類とエイリアンは交戦状態にあるわけではないのだから、テクノロジーが解明できないのならそれを使えるエイリアンに猫缶でも与えて「傭兵」に仕立てればよろしい。
 第二に、人類の科学水準をはるかに凌駕する武器を大量に保有しているエイリアンが、人間からただ蔑まれ、痛めつけられるだけというのも合点が行かない。あのパワードスーツ一体あればうまくやれば南ア一国くらい、制覇できるだろうに。
 また、そのパワードスーツの、ターミネーターかエヴァンゲリオンばりの暴走も、一瞬なので見落としそうになるけれど、ずいぶんご都合主義的ではないか。
 などなど、いろいろケチをつけて楽しむこともでき、結末の割り切れなさもいろいろ想像をめぐらす余地があって楽しいし、これは総じてSFモノ好きにはこたえられない一本、ということで、SF好き・B級好きには絶対お薦め、グロなものが苦手だったりツジツマが合わないと楽しめなくなる人、割り切れた結末を求める人などにはお薦めできない映画でした。
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映画『奇跡の丘』を観る


『奇跡の丘』

1964年 イタリア 132分
監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ
出演 エンリケ・イラソキ, マルゲリータ・カルーゾ, スザンナ・パゾリーニ
★★★★★

 無神論者パゾリーニによる、マリアの処女懐胎からキリストの受難、復活にいたるまでのイエスの生涯を描いた映画。

 昔、一度だけ観て強烈な印象を受けた作品。これをきっかけに、しばらくの間パゾリーニの作品をしらみつぶしに探し回っては観たものだけれど、やはり最初の印象が強すぎて、以後この作品よりも強い感動を覚えたものはなかった。作風からしてこれと『ソドムの市』では別人の作のようだ。
 忘れられない、また観たい映画の一本だった。レンタルでは出回っていないので、思い切って購入した。
 届いて、さっそく観てみたが、やはり、圧倒的だった。以前の印象とまったく違わない。心底から揺さぶられ、感動してしまった。受難の後で変わらぬ姿に再会するあの懐かしさ。
 とはいえ、映画の作法としては、極めてシンプル。普通の映画のような演出くささは極限まで排除されており、まるでドキュメンタリー作品のような、淡々とした流れで一貫している。職業俳優は一切使われていないというし、事跡や台詞なども「マタイ伝」に極めて忠実に構成されているそうだ。しかしそのような不作為でこれほどの自然さ、そして人肌の臭いや体温が感じられるようなズッシリした実在感を出すのはむしろきわめて難しいことなのではないだろうか。
 モノクロ画面で、記録映画のような流れなので、ときどき映し出される奇跡が、どんな特殊効果よりも強烈な効果を挙げている。これはまるで、自分が古代の荒野の住人で、神の業を本当に目の当たりにしたらかくやと思われるほどの強烈さだ。最初、許婚のマリアの突然の妊娠に際して、戸惑いと怒りに打ちのめされその場を逃げ出したヨセフの前に、天使が出現する。それまで一言の台詞もなかったところに、天使が始めて言葉を発する場面はまさに目の覚めるような鮮烈さで、一気にこの異様な古代世界に引き込まれてしまう。イエスがらい病患者を治すところなどもそうだ。
 イエスには重々しい神聖さなど微塵もない、普通の直情径行の好青年といった趣で、しかしカリスマはあり信じたくなる感じがよく出ている。もどかしげな早口で説く様子は、宗教家というよりは革命家を髣髴とさせる。熱い言葉で既成の権威を激しく攻撃するさまは、エルサレムの神官たちに疎まれ処刑されるにいたる道筋を、ごく自然な形で納得させるようだ。
 イエスの両親からむさくるしいオッサン揃いの使徒たち、洗礼者ヨハネや意外に素朴で清楚な美少女サロメ、処刑に懐疑的で責任を持ちたくない一心のピラトなど、周囲の人物が、たとえ出番は一瞬でもとにかく実在感があり素晴らしい。
 バッハやヴェーベルン(が編曲したバッハ)、そしてアフリカ風のリズムで合唱される力感に満ちた「ミゼレーレ」や「グロリア」、ちょっとエイゼンシュテインふうになって面白いプロコフィエフなど、使われている音楽もすごく印象的(尤もこうした音楽の使われ方は、後の『王女メディア』で頂点に達している感があった)。
 やはりこれは超のつく傑作で、映画の力をこれほど強烈に感得させてくれる作品は滅多にないだろう、と改めて思ったのだった。
 また、パゾリーニ映画をまとめて観たくなってしまった・・
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