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Tesla Quartetのラヴェルとハイドン

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 こんばんは。今はハイレゾの新譜、Tesla Quartetのラヴェルとハイドンを聴いているよ。9月に出たばかりで、もしかしてこれがデビュー盤なのかな、まったく聴いたことのない名前の弦楽四重奏団だよ。ジャケット写真を見ると、最近よくあるポピュラー系のグループのようなノリの写真。もう、こういうの見ても全然インパクトはないね。むしろ陳腐化しているんじゃないの。

 でも、聴いてみたら演奏はいろんな意味で突出しているように感じたよ。
 まず、最初にラヴェルの弦楽四重奏曲が収められている。これが、思い入れたっぷりのベタ甘の演奏。第一ヴァイオリンのスナイダーという兄ちゃん(画像左端)の楽器は終始あまり現実味のないフラジオレットのような音で、甘いポルタメントをかけまくって夢見心地に歌い上げる。この曲の、こういう傾向の演奏は好みじゃないけど、たしかにこんな通俗的な面もある曲なんだし、この演奏自体も徹底していてたしかに耽美的な美しさがあり、中毒性がないこともない。
 というか、抗いがたい魅力も感じてしまうね・・演奏はものすごく巧く、録音も最上で、よくあるモヤモヤした感じではないのがいいね。

 まあでも、ラヴェルのほうはまだ予測の範囲内だったね。ハイドンの弦楽四重奏曲op.54no.2には唖然としたよ。これ、変な演奏だよ。アクセントの付けかたがおかしいのかね、とても古典派の楽曲には聴こえないよ。なんか近代音楽みたいに聴こえる。
 おれはハイドンの弦楽四重奏曲が大好きなんで、収録されている盤は聴きたくなるんだけど、こんな演奏を耳にしたのは初めてだったよ。
 でも、これはすごく気に入ってしまったよ。ハイドンの弦楽四重奏曲は造りがシンプルなぶん、面白く聴かせるのは難しい部分があるよね。古楽器派よりも現代楽器での演奏のほうが総じて面白いと思うけど、これは現代楽器での新しいアプローチだと思ったよ。他の曲もこの団体で聴いてみたくなったよ。

 さて、ラヴェルとハイドンの間に、スナイダー君編曲のラヴェル『ハイドンの名によるメヌエット』が挟まれていてこれも洒落ている。
 また、ハイドンの次にはストラヴィンスキイの弦楽四重奏のためのコンチェルティーノが収録されていて、その間にはまた同編曲のラヴェル『古風なメヌエット』、最後に遺作のメヌエットが置かれているという趣向。徹底して、凝っているよね。

 このロス・スナイダーという人は才人だね。

 なんか、変わった盤だったけれどかなり楽しめたし、けっこう気に入ったよ。今後どうなっていくか予測できないけど、要チェックの若い弦楽四重奏団がまたひとつ増えたという感じだったよ。
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ステープルドン『シリウス』を読了

 オラフ・ステープルドンのSF小説『シリウス』を読了。なかなかはかどらず、40日もかかってしまったよ。
 ある科学者の実験によって生まれた、人間と同等の知性を持つ犬シリウスの話。ほぼ同時期に生まれた科学者の娘プラクシーと兄妹のようにして一緒に育てられることから、プラクシーとの愛憎半ばした強い繋がりを主軸に、人間社会との相克や観察、さまざまな経験を描いていく。
 前にも書いたけどこれが猫なら人間様を餌をくれる都合のいい相手くらいにみなして皮肉な目で観察する、超然としてのどかなお話になりそうなものだけど、これが犬だと人間社会になんとか溶け込もうとあがいて果たせない、愛憎の振幅も大きくて、まったく疲れる話になってしまう。
 おれは犬とほとんど接した経験がないので、あまりぴんとこなかったけど、犬好きの人の琴線に触れる描写も多いのかもね。最後のほうなど、犬的な行動の描写を猛烈に力を入れて描いている。犬を飼っていた人は泣いてしまうかもしれないね。
 変な点もかなり目に付いたよ。まず、西欧人的だなぁ~と感じてしまったのは、愛情や信頼を、言葉にして発さないと相手を信頼できないところ。これは人間のなかでも西欧人的なのだから、犬がこうなるのはおかしいと思ってしまったよ。相手の感情を嗅覚で察知できるという描写があるのだから、この上言葉にばかり頼って愛と是認の言葉を求めるのは犬としておかしいんじゃないの。
 あと、最後のほうはキリスト教徒の狂った一面が生々しく描写されていて気持ちが悪くなるよ。このあたりは「知性を持った犬」という設定よりも現実味に欠ける気がしたんだけど、魔女狩りとか、こういう集団心理って向こうにはよくあることなのかね。
 というか、最後のほうは動物小説というより、人種問題を扱った小説みたいだったね。黒犬って何かの暗喩なんじゃないかと思ったよ。ルイス・サッカーの『穴』にもこういうの、あったよ。
 最後の場面はなんともいえなかった。増村保造監督梶芽衣子主演の『曽根崎心中』を思い出してしまったよ。
 教訓としては「馬鹿者をバカにして甘くみると手ひどいしっぺ返しを食うから気をつけろ」ってことかな。
 とはいえけっこうよかったよ。星四つだね。

 さて次は何を読もうかな・・

Pragaレーベルの室内楽SACD

 こんばんは。先日SACDプレーヤーを購入して以来、自宅にあった僅かな盤では飽き足らず、SACDを図書館やレンタル屋で借りてきたり、買ったりして、聴きまくっているよ。十分予想できたこととはいえ、かなりの散財になってしまった。いまが一番金欠の時期なので我慢しなきゃならないと思うと、却って物欲に捉われてしまうね。

 そんなこんなで、チェコのヒストリカルと室内楽のレーベル、PragaのSACDを何枚も購入して聴いてみたよ。ここはチェコの現役世代のいろんな弦楽四重奏団が、チェコものからドイツ音楽、現代音楽にいたるまで幅広いレパートリーを入れていてカタログを眺めているだけで楽しいし、録音がとても優れている。三つの四重奏団が分担して入れたマルティヌーの弦楽四重奏全集やピアノ五重奏、ピアノ・トリオなんかの盤は以前から愛聴盤だよ。
 
 今回は、マルティヌーにも参加していたプラジャーク四重奏団、ツェムリンスキー四重奏団、そして昔オルランド四重奏団という名称でPhilipsレーベルに録音していた、現パルカニ四重奏団の盤を買ってみたよ。

 うち、パルカニ四重奏団だけは音色が違うね。暖色系のちょっと厚みのある音で、録音も残響が結構乗った、傾向の違うものだったよ。ベートーヴェンとシューベルトということでこういう音作りがされているのかな。でも、この四重奏団はこのレーベルからバルトークの四重奏全集を出しているんだよね。この音でバルトークかぁ・・・。ちょっと手を出す勇気は出なくなったかな。
 なにしろこのレーベル、堂々のフルプライスで、もともと手を出しづらいんだよ。

 残るプラジャーク四重奏団とツェムリンスキー四重奏団は、区別がつかないくらいそっくりだね。マルティヌーを入れていたもうひとつのコチアン四重奏団も足して、この三つの団体はとても良く似ているね。
 おまけに今はコチアンのパヴェル・フーラがプラジャークの第一ヴァイオリンを務めているのだから、なおさらだよね。

 この三つの団体は、チェコのノヴァーク四重奏団とか、パノハ四重奏団なんかの流れを汲む団体のような気がするよ。技術的にはとても精密で近現代ものに適した性能をもつわりに、昔のLPで聴けるような独特の、ヨーロッパ風の?音程の取りかたが残っていて、どことなくひなびた味わいがある。おれは専門的なことはわからないけど、全体的に音程がちょっと低くなってる? そして旋律や隣り合わせの音に応じて耳に立つほど、同じ音でも細かく音程を変化させてるような感じだよ。音色自体は細身で輪郭のはっきりしたもので、和声よりも線的な絡みがよく聴き取れる。

 でも、今回思ったのは、このレーベル、四重奏団によって音の録りかたを変えているんだな、ということ。まあ担当エンジニアが違うのだろうし、収録場所や、四重奏団自体の好みにもよるのかな。
 で、おれはいまあげた似ている三つの団体では、しいて挙げれば録音込みで、まえからプラジャークはあんまり好みじゃないね。ちょっと身振りが大げさで、録音も響きがかぶさってくる感じがするよ。特にヤナーチェクの旧盤はよくなかった。
 実演では一番よく聴いているんだけどね。実演だと文句なしに素晴らしいんだけれど。
 コチアンはノヴァーク四重奏団に似た感じで、とても好きだ。近現代ものが特にいいよ。だからプラジャークの第一ヴァイオリンがフーラに変わったときはうれしかったよ。
 ツェムリンスキー四重奏団は、マルティヌーの1番しか今まで聴いたことなかったんだけど、今日2枚半(ドヴォルザーク1枚、ウィーン古典派1枚、そしてプラジャークと共演したブラームスの六重奏曲)聴いてみて、あまりの良さに心を奪われてしまったよ。
 特にハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを入れた1枚。このハイドンなんて、今まで聴いたハイドンのうちでベストかもしれないよ。
 
 正直、あまりこの四重奏団に関しては期待してなかったんだけど、瓢箪から駒という感じだったね。
 今後ちょっと注意して、少しずつでも集めていこうと思ったことだよ。

異変続き

 北海道の地震、ビックリしたね。昨夜は結局眠れなくて、朝まで寝床に寝転がって本を読んでいたのだけれど、3時過ぎになんか気持ちの悪いグズグズした地震があって、イヤな感じだなと思っていたら、これだったんだね。
 停電したり、電車が走らなくなったり、北海道でこんなことは初めててらしいね。原発がバクハツしなかったことが不幸中の幸いだね。
 昨年度の生徒の一人が、第一志望を北大にしていて、合格したんだよね。「これで東京を離れられて、ミサイルも地震も安心ですよ」なんて悪趣味な冗談を言っていたけれど・・彼、大丈夫かな。
 心配しているよ。

 それにしても、異常な暑さが続いたり、ついこの間は台風で、怪獣映画でしか見たことのないような、車がゴロンゴロンと吹き飛ばされる光景を目の当たりにしたり、そうして今度はこれだもの。
 異変、天変地異続きで、本当に不安になってしまうね。

 自然現象だけでなく、この国のマツリゴトの有様も、ありえないような惨状を呈しているね。
 いっぽうで今年限りで平成が終わってしまうけれど、恐ろしいことだと思っているよ。
 平成天皇の抑止力がなくなってしまったら、歯止めが利かなくなった連中が今後どんな方向へ進んでいくことやらと思ってね。
 日本で一番エラいのはトランプ大統領になってしまうね。

 おれなんかは天涯孤独の身だし、もう隠居して、死を待つのみって感じだからまあ、いいけど、子供たちは今の日本のエラい人たちなんて参考にせずに、しっかり勉強して賢くなって、これからの世の中を生き抜く知恵をつけていってほしいと願っているよ。

読む本選び

 こんばんは。今夜は明日、埼玉の暑い平野部に出かけて小川で小魚でも捕まえるつもりだったので、早寝しようと思っていたのだけれど、結局深夜まで呑んでしまって早朝起きは不可能になった。7月までは昼仕事があったし、8月は講習期間で心が落ち着かず、9月に入ってようやく自由な時間が持てたと思ったらまだバランスが取れないね。ちゃんと規則正しい生活リズムを作っていかなければと思っているところだよ。

 さて、英文読書、現在読んでるステープルドンの『シリウス』はなかなか進まない。もともとおれは本、読むのが遅いんだよ。日本語の本でも遅いの。小説ばっかり読んでいるから、その世界を味わうには速読なんか害になるくらいなんだけど、それにしてもゆっくり過ぎるね。一時間に6ページくらいしか進まない。昔からそうで、慣れれば速くなるだろうとずっと思っていたけど、ならないね。自分のペースが結局そんなものなんだろうね。
 でもあと50ページもないくらいなので、次に何を読もうかと考え始めているところだよ。

 英語学習者で英語の本を読んでみたいと思っている人はけっこう多いと思うけど、これが案外ハードルが高いんだよね。なにしろ薄い本だって100ページくらいはあるわけだから、最後まで読み通せるかは読んでみないとわからない。おれも最近こそ読みはじめたらそのまま読み通すことも多いけど、以前はそうではなかった。読みかけても途中で放り出すことが多かったね。英文が難しすぎたり、読んでみたら今はそれを読む「気分」じゃなかったり、単純につまらなかったりすると、日本語ならなんとか斜め読みで済ますこともできるけど、英語だとなかなかそうはいかないんだよね。結局、読むのをやめることになっちゃう。

 でも、英文読書っていつも何かしら読み続けて、癖にしておくことが継続のコツだよね。一冊途中でザセツしたからといって、そこでやめてしまうともうあとが続かなくなってしまう。

 で、おれの場合、以前は読み始めても、続かなかったら、即他の本に移るということをやっていた。下手すると、半月くらい読む本が決まらずに、5冊くらいとっかえひっかえしたこともあったっけ。
 さすがにそれだと効率が悪いし、落ち着かないので、最近は何冊か同時に読みはじめて、続くものを読み進めるというやり方をしているよ。
 今回の『シリウス』も、読み始めはル・グインの『天のろくろ』と同時に読んでいたよ。でその前はケイト・ウィルヘルムの『Music Makers』、そのまた前はクリストファー・プリーストの『The Affirmation』を読んだんだけど、それらのときも実は同時に『天のろくろ』を読んでいたんだよね。で結局、『天のろくろ』は毎回続かなくて中断してしまい、もう一方を集中して読む、という仕儀に立ち至ったわけ。
 こういう、相性の悪かった本が何冊もあるよ。どうして続かないのか分からないんだけどね。
 あ、『天のろくろ』は『The Lathe of Heaven』だよ。天の、ろくろ。天、のろくろじゃないからね。

 『シリウス』を読み終わったらまた『天のろくろ』に戻るつもりだけど、他にも何か並行して読み出すつもりでいるよ。

 結論としては、英文読書を続けさせるコツは、本を一冊ずつ買うんじゃなくて、興味ありそうなものを何冊か一度に買って、いや懐の許す限りたくさん買い込んでおいて、積ん読状態のなかからそのつど見繕うようにする、ということだよ。

 おれは紙の本ではなく、kindleで読んでいるので、知らない間に恐ろしいほど未読がたまってしまったけど、物理的にはまったく圧迫感がないので気分よく本選びができているよ。
 その代わり、懐具合はいつもお寒い状態だけどね。

フリエンド指揮ネザーランド交響楽団のベートーヴェン

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 今は、フリエンド指揮ネザーランド交響楽団のベートーヴェン交響曲全集のSACDから、7番と8番を聴いているよ。
 これはずいぶん以前に入手して以来、宝物にしているセットだよ。
 
 ベートーヴェンの交響曲なんて、もう何十年も聴きすぎて飽きてしまっているというのが本音のところだよ。実演含め、どんだけ同曲異演を聴いてきたんだか、とうてい把握しきれないよ。
 いろんな盤を聴いてきたけれど、気負いが先走った、疲れる演奏が多いよ。
 案外、録音も満足いくものは少なくて、聴いてるうちに欲求不満になって途中でやめてしまうんだよね。昔より最近の録音の方がよくない。どこの銭湯で録ったんだと言いたくなるような、残響まみれの湿っぽい代物が多いんだよ。

 そんな中、この盤の録音はいいよ。ホールトーンは潤いと艶を失わない程度に加味されているけど、楽器の音がとにかく生々しい。SACDのハイブリッド盤は、CD面も音がいいものが多いよ。
 SACD面はもっと音がいいけど、音量レベルが低いのでいつもの三割増しくらいでアンプのボリュームを上げないと満足いく音にならないね。いつもの馴染んだボリューム位置よりぐっと上げるとちょっとドキドキして心臓に悪いね。近所迷惑になるんじゃないとか、スピーカーに悪いんじゃないかなんて余計なことを考えてしまうね。実際は出てくる音量をいつもと同じにするだけなんだから、本当に余計な心配だよ。
 
 この演奏は、いわゆるピリオド・アプローチというやつだよ。金管楽器は当時のものを使っているらしいね。昔、アマオケで8番をやったとき、なぜかティンパニだけ昔のを持ち込んでいたのを覚えている。パンパンと威勢のいい音で面白かったけど、この盤のがそういうのかは良くわかんない。弦は古楽器オケじゃないからモダンなんだろうけど、奏法はノン・ヴィブラートの古楽奏法だね。編成もずいぶん少人数にきこえるね。でも、音には薄さを感じることはないよ。室内楽的な芯が感じられるタイトな音で、しかも聞こえないパートはないと言っていいくらい、クリアに録れているよ。いやぁ、いいね~

 おれはベートーヴェンの交響曲では8番がいちばん好きなんだよ。演奏したことがあるからというのもあるけど、曲想が一番現代的だと思うよ。プロコフィエフの一番なんかに似た、擬古典的ないたずら心が感じられるんだよね。
 この盤の8番の演奏は本当に素晴らしいよ。100点満点中、100点あげちゃうよ。なんせヴィオラの音がバッチリ聞こえてくるのが最高だよ。冒頭部分の次に、ヴィオラの刻みの上でヴァイオリンが上行折れ線グラフみたいな旋律を奏でるところがあるんだけど、ここでヴィオラの音がしっかり聞こえる録音は案外少ないよ。たとえばちょっと前に評判になったラトルとベルリン・フィルのなんて、ヴィオラの音だけ、マイクが壊れたみたいにすっぽ抜けていたもんだから腰を抜かしたよ。あんだけ聞こえないのも珍しかったね。最終楽章では各弦楽器の刻みの掛け合いがあるんだけど、ヴィオラのところだけ音がなくなるの。珍品だったよね。
 この盤ではそんなことはないよ。どの音も弾むような生々しい音で、よく録れているね。

 録音のことばっかり書いちゃったけど、もちろん演奏も最高だよ。いま8番の最後のところに来たけど、ティンパニが威勢よくパンパン鳴ってて爽快だね。やっぱこれも例の昔のタイプなんだろうかね。
 あんまり好きじゃない7番もすごく良かったよ。
 1番から9番まで、実を言うと全部いい演奏なんだよ。

 ただ、オケにはちょっとだけ粗がある部分もあるので、スーパーオケの磨かれた演奏しか受け付けないとか、細部の瑕疵を鬼の首でも取ったようにあげつらったりするタイプの聞き手には、お勧めできないかもね。

 でも、おれ的には今のところ、クリップス、クーベリック、そしてこのフリエント盤があればベートーヴェンの交響曲はもう満足かな。

雑談

 昨日書いたとおり、ヒマができたので今後はできる限り毎日、下らないことでも見つけてここに書きつけていきたいと思っているよ。
 釣りに行った日だけは別にそのためのブログがあるんで、こちらはお休みにするけどね。
 こっちはもっぱらインドア趣味と、仕事や生活のことを書いていくよ。

 8月に一度、心機一転するつもりでこのブログ、レイアウトを変えたんだよね。
 ところがそれ以来、アクセス解析を見るに、一人も、一度として、アクセスがあったためしがない。驚いたことに、一ヶ月くらい、誰もこのブログを見に来なかったんだよ。
 釣りの方は少ないとはいえ、毎日誰かしら見に来てくれているらしいのにね。
 なのに、こちらはまったく誰の関心も引かないみたいなんで、正直へこんでしまったよ。

 ところが、昨日久々に更新して、見てみたら、やっぱりアクセス0なんだ。
 最低でも、自分はアクセスしているのだから、1にはなってないとおかしい。で不審に思って見てみたら、レイアウトを変えた際に、アクセス解析のタグを入れ忘れていたってことに気づいたよ。
 まったく、我ながらあまりに間抜けで、愕然としてしまったよ。
 
 まあ、タグを入れていても結果はそんなには違わなかったかもしれないけどね。

 * * *

 借金を返して、貯金がゼロになったので、衝動的にSACDプレーヤーを買ってしまった。
 こういうことは良くある。生活が苦しくなると却って浪費してしまうんだよね。

 で、SACDを手持ちの今までは聴けなかったやつとか、図書館で借りたやつとか、聴きまくっているのだけれど、やっぱり、SACDっていいね。数年前からハイレゾへの買い替えは進めていて、PCMの24bit96khzがSACDのDSDとほぼ同等のデータ量ということは承知しているけど、音の感じは相当に違う。これがメーカーの戦略で、音の傾向を変えて両方買わせようと言う魂胆なら、それはかなり賢いやり方だと思うけど、まあそんなこともあるまいね。レーベル問わず、国内盤、外盤ともに同傾向なんだから、これはPCMとDSDの音に違いというのがやっぱりあるんだと考えていいと思う。

 ごく簡単に言えば、PCMハイレゾはパリッとした、輪郭鮮明な音になっている。一方DSDは、しっとりした音で、一聴してインパクトに欠けると感じることもあるけれど、良く聴いてみれば解像度も高いし、たぶん実際に鳴っていた音に近いんじゃないかと思われる音になっている。
 ロック系の、たとえばピンク・フロイドの『狂気』とかデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』なんかは、どちらも聴いてみたけれど、PCMのほうがいいような気がした。
 でも、クラシックで聞き比べた、クレンペラー指揮のモーツァルト後期交響曲集なんかは、DSDのほうがずっと良かったよ。
 ただ、ベームの同じモーツァルト後期交響曲集では、PCMのほうがよかった。これについては版元の違いとか、いろいろあるので詳しくは触れずにおくけど・・
 ともあれ、今後は、PCMとDSDの同一音源があったら、どちらも聴いてみて、好きな方を残すという作業をする必要があるかもね。

 そういったことも、今後は書き散らしていくつもりだよ。

 * * *

 英文読書のほうは、今年に入ってからもけっこう読んでいて、作品の出来ということとは別に、すごく考えさせられた読書もあった。でも、なんとなくここには書かずにしまった。
 今は、オラフ・ステープルドンの『シリウス』というSF小説を読んでるよ。
 実はこれ、まったく予備知識なしに読み始めたんだけれど、すぐに文体がしっかりしていて、気品があって、受験文法的に正統的な(笑)ことがとても気に入ったよ。
 で、あまりに格調高い文章なものだから、改めてググって調べてみたら、これ、1940年代のイギリス小説だったんでビックリしてしまった。古典だったんだ・・・てっきり、60年代くらいのパルプ小説かと思っていたんだけど。ステープルドンという人も専業のSF作家ではなくて、哲学者だったらしいね。それはこの小説の内容からしても十分納得がいったよ。
 話はタイトルから連想されるスペースオペラ的なものとはかけ離れていて、シリウスという名の、人間と同等の知性を持った犬の話。
 いま150ページくらい読んだところだけど、ごく正直に言って、シリウス君の陰湿な性格には参ってしまったよ。
 賢いのはいいんだけど、考えていることが対人関係の微妙な齟齬とか、不当な扱いをされたとか、犬の人間への従属的地位への憤懣とか、そんなことばっかり。本当に、正しく、犬みたい。
 これが知的な猫の話ならば、当然、超然と人間世界のつまらぬ事情を見下して皮肉るというスタンスになるだろうね。我輩しかり、ムルしかり。
 それが犬だと、人間社会に同化したいけど同化しきれない、扱いにも不満がある・・なんて話になるんだね。
 なんだか高学歴だけど社会不適応のニイチャンがバイト生活まで落ちぶれて、もっと自分をちゃんと扱えよ! と社会に向かって吼えているような話に思えて仕方がない・・(同族嫌悪?・・ハハハ)
 でもこれ、けっこう評判いいんだよ。シリウスがいじらしいとかなんとか・・犬派と猫派って本当に感性が違うのか、それともラストまで来れば感動的なのか、確かめるために全部読むつもりでいるよ。
 本当は、宗教のくだりの手前あたりでやめようかとも思ったんだけどね・・

 * * *

 今日はもうひとつの外仕事で、高校生たちに英語を教えてきたよ。
 こっちもけっこう・・な職場なんだけど、生徒たち、教えることに関して不満はないよ。
 この仕事でなんとか、生計を立てられて、ついでに売れないけどいい本を出せるだけの経済的余裕と、翻訳やら創作やらができるだけの時間的余裕が得られれば・・と思えてやまない。
 本当は自分のところでやりたいんだけどね。そうすれば、間がなくて両者とも経済的にも満足がいくだろうし、最も効率的に「できる」ようになるやりかたも気兼ねなく実践できるようになるだろう(いまはカリキュラム作成とかがあるので、どうしても文法項目順にやることになるが、文法ばかりやっていて出来るようになった例は寡聞にして聞かない・・)
 自宅でやればいいのかもしれないけど、どちらにとってもいろいろと問題がある。なので教室を別に構えるのがベストだろうけれど、それは当面無理だから、家庭教師みたいな形態がベターなのかもしれない。しかしどうやって生徒を集めるか?
 このブログで知ってくれればいいが、なにせ訪問者ゼロだもんね・・・
 いろいろ考えることも多いが、こちらはこのまま、続けていくつもりだ・・

 * * *

 そんなこんな、今後とも書き散らしていくので見に来てくださいな。

一歩、自由へと前進したが・・

 八月に、これまで22年間苦しめられてきた、住宅ローンの支払いを半分済ませた。

 20代後半で家を建てたとき、細かいことは抜きとして、二つの銀行から30年ローンでそこそこの額を借りた。以来ずっと収入の大半を返済に充てるような生活をしてきて、そんななのに脱サラして自営になったり、仕事が一向に軌道に乗らなかったり、それでもしばらくは安定していた収入が急に半減したりといろいろあって、ここ3年ほどは週6日ペースで外仕事(要するに、アルバイトね)に従事するような日々を送っていたんだけど、二つの借金のうち、利率の大きい方を僅かでも繰り上げ返済したいと思って、おととし、去年と支払いをした。でこのまま行けばこちらはあと2年半で払い終わることになったから、まあそのままにしておくつもりだったんだけど、ここへ来て急にこんな生活に耐えられなくなり、なけなしの貯金を全部かき集めて、このたび全額、払い終えたというわけ。

 ほっといても払い終わるような時期にこんなことを始めたので、利子のほうはしっかり払いきって銀行丸儲けだ。癪に障るが、自分が莫迦だったと諦めるほかない。それに、やはりゴールが見えてきてはじめて焦りだしたという部分もある。やはり莫迦だな。

 もう一つの借金のほうは手つかずのまま残っているからあと8年払い続けなければならないんだけど、当面、毎月の返済額が半額以下になったのはかなり大きい。とはいえ、貯金が文字通り、ゼロ円になってしまったのは痛い。私は結構周到な方なのでこんな状況になったのは社会に出て初である。万一のことがあったら対応できないし、出そうと思っていた本も、少なくとも自分のところからは当分出せなくなった。
 だが、むしろ、出版計画を当初の予定から延ばしに延ばしていたのは、無意識にカネの使い道を、こちらに決めていたんじゃないかという気もしないではない・・

 さて、月々の返済額が減って、当初は浮かれていたものの、ここへ来て、これからどうしたもんかと悩み始めている。

 減った月額は、二つ掛け持ちしている外仕事(アルバイト)の片方の月給とほぼ同じくらい。だから、当初はこっち、すっぱり辞めるつもりでいた。外仕事(バイト)、50近いオッサンがやるようなものはいずれヒドい労働条件になるのか、あるいはおれがツイてないだけなのか知らんが、これ、かなり・・な案件なのだ。まず給料の区分が給与でなく、雑所得なので税金の控除が一円たりともない・・(以下自粛)

 そんなわけで、こっちは辞めてそのぶん自由を謳歌するつもりだったが、考えてみれば、まあ考えなくても分かるけど、返済額が減ったからといってその分の収入を減らしたら、生活苦は当然、改善されないのだった(笑)

 ある程度の自由を手に入れられることは小さなことではない、でも、これは苦労して繰り上げ返済した自分への利息として、2年半後、本来の支払い完了時に、今回払ったのと同額の貯金が回復されていなければ、今回のことは失敗だったんじゃないかという気がしだした。そうでなければ、ただヒマをカネで買っただけということになってしまう・・

 ただ、今までと同じ生活をするとしても、それも、ただの逃避に過ぎないことも自明なんだよな。他人のためにあくせく働いて心身をすり減らしていれば他のことは考えなくとも日々は平和に過ぎていく。そう、そんな日々を3年も過ごしていれば、そんな思考停止の状態にすっかり狎れきってしまう。もう昔のようには頭も、身体も働かない・・

 なんてね。
 ともすれば、扱いに困る自由を捨てて安直な日銭稼ぎ(バイト)に戻ろうかという安易な誘惑に悩まされつつある今日この頃だ。

 心を強く持たないと、隠居もままならないというのは奇妙な倒錯じゃないか・・
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