FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

A Fair Maiden

 Joyce Carol Oates の小説'A Fair Maiden'を読了。7/16に読み出したので22日かかった、kindl表示で144ページの短い小説だから、いかに捗らなかったのか分かる。これの前の「モッキンバード」は250ページくらいあったのを、19日で読んだのだから...まあそれだって速いとはいえないけれど。
 ともあれ、読了できただけでも良しとせねばならない。なにしろつまらなかった。。。もう、読み進めるのがかなり苦痛で、GoodreadsやAmazonの評を見るにこれはオーツの作品の中でも評判の良くない作品らしい。それは読む前から分かっていた...のになぜ読み始めたかというと、ひとえにこれが短かったから。短編で魅せられたジョイス・キャロル・オーツだが長編は一冊も読んだことがなかった。読みたいと思っていたものの、どれも結構長いようで、この作家の、読みにくくはないが独特のうねうねした文体を300ページ以上も追い切れるか自信がなかった。ジュブナイル以外ではこの'A Fair Maiden'が一番短いようだったので、悪評の多さには目をつぶって、挑戦してみたのだった。
 話は、貧しい16歳の少女が68歳の金持ちの老人に誘惑される話。ナボコフの「ロリータ」と比べている評が多いようだったけれど、それより谷崎潤一郎みたいな話だと思った。女性側の視点から谷崎的世界を語った話というか。そしてこういう話は、女性側から見ると本当に退屈で、興ざめなものなのだった。こういう類の話は、川端康成の「眠れる美女」を極として、男の抱く幻想が過剰であればあるだけ、そしてそれが現実の関係性からかけ離れていけばいくだけ、奇怪な面白みをはらんでいくもので、女の側から語るとただの援助交際の記録になってしまうのだった。老人への嫌悪と金銭への執着が繰り返し語られ、悲惨な生い立ちと、行方不明の父親への愛惜が語られると、もう、リアリズムそのもののようで、一方の金持ちの老「芸術家」キッダー氏の胡散臭さと存在の軽薄さ、醜さが本当にやりきれなくなった。しかも物語は緩慢に、最悪の方向に進んでいくようだった。。。
 ところが、この小説、最後の最後、最後の2ページくらいになって、ついに老人の幻想が少女の糞リアリズムを圧倒し、異常きわまりない愛と死の世界が溢れ出し、全てを飲み込んで突然ぷっつりと終わりを迎える。これには驚いたし、感動してしまった。
 書評ではまさにこのラストへの苦情が多いのだが、どうもこれをミステリーやサスペンスものとして読んでいる人が多いようで、「落ちがよめてしまう」という批判が多かったのだけれど、これはそういう小説ではないだろう。谷崎的な耽溺の世界にクッキリした落ちなど必要ないし、むしろこれはクッキリしすぎているくらいだと思う。
 下世話な生活苦の話、カネの話、少女を言葉巧みに誘惑して騙す話、犯罪者まがいの親類たちの話、そういった、読んでいて苦痛な、退屈な、薄汚れた埃っぽい話が延々と続いたあとに、いきなり幻想が氾濫するのが圧倒的で、五つ星で評価をつければ一つか、ゼロかなと思っていたのが、いきなり四つ星に格上げされたのだった。さすがは長年のノーベル賞候補作家...受賞できないのもまあ、納得という感じだが。。
 

ポール・ボウルズの"You Are Not I"

 Paul Bowlesの"You Are Not I"を読む。
 ここしばらく、長編より文が難しいので苦手の(英文)短編小説を読んでみようと思っていろいろと読み散らかしているが、そのきっかけになったのは、6月頃に、ポール・ボウルズの"Kitty"を読んだことだった。この本当に短い、子供向けのお話のように平易な小品は心に突き刺さった。何とも言えない気持ちになって、それが原動力となって久しく離れていた短編小説へと再び目が向かうことになったのだった。だから、ポール・ボウルズは知ってまだ二ヶ月ほどしかたっていないのに、早くも自分の中では特別な作家になりつつある。ことさらに酷薄に、とってつけたような結末になることが多くて本当にうまい作家なのか、まだよく分からないところもあるのだけれど、読めば読むほど魅力を感じつつある。少しずつ読んでいって、いずれは「シェルタリング・スカイ」などの代表的な長編も読んでみたいと思っている。
 なんだか、ボウルズが後半生を過ごしたモロッコへも行きたくなってきている今日この頃。こういう共時性は良くあることだが、たまたまモロッコで撮影されたACIDMANの「アルケミスト」のPVをYouTubeで見て、砂漠や岩山にうがたれたような住居の窓など、心から実際にこの目で見てみたいと思った。

 "You Are Not I"は読み始めてすぐにこれは変だと気づく。若い女性の一人称の語りなのだが、異様なことをぼそぼそと語っていて、なにか建物から出て列車事故の現場へと降りていって、線路脇に並べられた亡骸の口に石を入れていくが、あまりに多いので手持ちの石が足りるか心配になった・・というところで、これは精神病院から脱走した患者の話なのだと気がついた。病院の近くで起きた列車事故の混乱に乗じて脱走した患者が、姉の住む自宅へと向かう。自宅ではすぐに追っ手に捕まりそうになるが、そこで・・というお話。
 最後は虚実が混沌とし、語りの視点も混乱して曖昧になって、何が本当のところなのかよく分からない、非常に奇怪なことになる。これも日本語訳で読むと受ける印象はずいぶん違うかもしれない。
 これは結末のとってつけた感もなく、いい作品だと思った。

 It seemed to me that life outside was like life inside. There was always somebody to stop people from doing what they wanted to do. I smiled when I thought that this was just the opposite of what I had felt when I was still inside. Perhaps what we want to do is wrong, but why should they always be the ones to decide? I began to consider this as I sat there pulling the little new blades of grass out of the ground. And I thought that for once I would decide what was right, and do it.

 外側の生活も内側での生活と同じように私には思われた。誰かが好きなことをしようとすると、それを止めようとする誰かが必ずいるのだ。その考えは、私がまだ内側にいた頃に感じていたのとは全くの正反対だと気がついて、私はほほえんだ。たぶん、私たちがしたがることというのは悪いことなのだ、しかしなぜ必ず彼らがそれを決める側でなければならないのだろう? 私はそこに座り、地面から草の新芽を抜き取りながら、このことについてよく考えはじめた。そして私は、一度くらい何が正しいことか自分で決めてもいいじゃないか、そしてそれをやってみようと思った。

サリンジャーの"A Perfect Day for Bananafish"

 J. D. Salingerの"A Perfect Day for Bananafish"を読む。
 短編集"Nine Stories"所収。サリンジャーは高校時代に何冊か読んだ。が、「ライ麦畑」は未だに読んでいない。読んでおくべきだろうか。なんか、太宰治みたいに、多感な思春期に読むべき作品のような印象がある。40過ぎたくたびれた中年の独身男が今さら読んで面白いだろうか。と、いうより、高校時代に読んだ短編集も、私には面白くなかった。この作家は合わないと思ってそれきりになっていたのだが、実際はどんなもんだろうか。
 そう思って、四半世紀ぶりにサリンジャーを読んでみた。
 すっかり忘れていたが、読み進めるうちにだんだん思い出してきた。全体に軽妙な筆致で、おしゃれな感じ。せりふが多くて、何を言ってるのかよく分からない。
 でもなんだか、昔読んだときよりは面白かったかな。昔読んだときは、なんだか、作者が登場人物に寄せる思い入れが強くて、それがうっとうしかった。今はそれもやり過ごせるようだ、あまり気にならなくなっている。
 この短編集、もうしばらく読み進めてみよう。

シャーウッド・アンダソンの"War"

 Sherwood Andersonの"War"を読む。
 短編集"Triumph of the Egg, and Other Stories"所収の一篇。
 語り手の「私」が、夜行列車の中でたまたま相席になった、ポーランドからの避難民の女性から、第一次大戦中のポーランドでの小さなエピソードを聞く。廃墟となった村から避難所へと、一人の中年のドイツ軍兵士に引率された難民の一行が歩みを進めるが、難民たちのリーダー格の老婆だけは、事ごとにドイツ兵への反抗を試みる。隙を突いて逃走を図り追いつかれると、ついにはとっくみあいのけんかを始めて・・というお話。
 シャーウッド・アンダソンは昔『ワインズバーグ・オハイオ』を愛読していたこともあり好きな作家の一人。今回短編集"Triumph of the Egg, and Other Stories"が無料のkindle書籍になっていることを発見したのでダウンロードし、邦訳で読んだことのないものから少しずつ読んでいるが、奇妙な味の作品が多いので意外に思っている。なにか、穏やかなリアリズムの印象が強かったけれどもそういえば『ワインズバーグ・オハイオ』も結構幻想味が強かったかもしれない。というより、奇妙な観念にとらわれた人たちが出てくる作品が多いので、そんな感じがするのだろう。日本語だと奇妙な論理が展開されてもさほど違和感なくさらっと読んでしまうのだけれど、英語だと自分の読み自体に疑問符がつくので、よけい奇妙さが引き立って感じられる。もしかして読み違えてるんじゃないかと不安になってくるのだ。否応なしに異化された読書体験を強いられるのも原書読書の面白いところ。
 アンダソンを読むと、その作品について云々する気があまり起きず、心の内にそっとしまっておきたい感じになるのも不思議だ。
 
 Along a country road in Poland went this party in charge of the German who tramped heavily along, urging them forward. He was brutal in his insistence, and the old woman of sixty-five, who was a kind of leader of the refugees, was almost equally brutal in her constant refusal to go forward. In the rainy night she stopped in the muddy road and her party gathered about her. Like a stubborn horse she shook her head and muttered Polish words. "I want to be let alone, that's what I want. All I want in the world is to be let alone," she said, over and over; and then the German came up and putting his hand on her back pushed her along, so that their progress through the dismal night was a constant repetition of the stopping, her muttered words, and his pushing. They hated each other with whole-hearted hatred, that old Polish woman and the German.

 ポーランドの田舎道を、この一団が、彼らを前へと促しながら重い足取りで歩くドイツ人の監督のもと進んでいった。彼は容赦なく一団に前進を無理強いした。六十五歳の老婆、彼女は難民たちのリーダー格だったが、彼女もまた、前に進むのを拒み続けることにかけては、彼と同じくらい容赦がなかった。雨の降る夜、彼女はぬかるんだ道に立ち止まり、一団は彼女の周りに集まった。頑固な馬のように頭を振りながら、彼女はポーランド語でつぶやいた。「私は放っておいてもらいたいんだよ、それだけが望みなんだ。この世で望むことは、放っておいてもらうことだけなんだよ」彼女は何度も何度もこの言葉を繰り返した―それからドイツ人がやってきて、手を彼女の背中に当て、前へと押し出した。それで暗鬱な夜をとおして彼らの前進は、停止、彼女のつぶやき、彼の押し出しの絶え間ない繰り返しとなった。ポーランド人の老婆とドイツ人は、心のそこからお互いを憎み合っていた。

ジョン・チーヴァーの"The Fourth Alarm"

 John Cheeverの"The Fourth Alarm"を読む。
 読み始めてしばらくたったときに、「ああ、これが『妻がヌードになる場合』か」と気がついた。昔、そんなタイトルのチーヴァーの邦訳短編集があったのだ。とうに絶版になっているが、これは注目を集めるために日本でつけた邦題だったらしい(しかし、むしろそんなタイトルの本、買いにくかったんじゃないだろうか)。
 郊外の比較的裕福な家庭が舞台。若く美人ではあるが、子供のしつけに関してとても厳しかったり、小学校で社会を教えたりしていた堅物の妻が、突然演劇活動にのめり込み、夫の止めるのも聞かず自らオーディションに出向いて、劇中通して全裸で、乱交シーンなどもある実験的な劇に出演することになる。夫は離婚を申し立てようとするが、先例がないと弁護士に断られてしまう。結局夫婦は別居状態になるが、ある日夫は妻の出演するその劇を見に出かける。そこで彼のとった行動は・・というお話。
 これは、見事に登場人物が「生きてない」作品だな~という印象。こんな行動に出る妻の側の必然性がまったく不明。こんなことはあり得ないし、もしあればそれは病気で、夫、親族、学校の同僚など周囲の人間が皆でしかるべき対処をすることだろう。
 これは、たぶん、60年代に隆盛をみたヒッピー運動の流行が、郊外の保守的な中流家庭にまで影響を及ぼしてきたら・・というようなアイデアで書かれたのだろう。「虚飾を脱ぎ捨て自由に生きようとする妻」と「しがらみから抜け出せない夫」という対立の図式が最後に至って非常に分かりやすい形でクライマックスを迎えるが、そうはいっても妻は離婚を拒絶しているわけで、中流家庭の恩恵は維持しつつ、好き勝手しているだけなのだから白けてしまう。結局そんなところも分かりやすく(離婚のくだり)描き出されているので、作者はそこまで計算に入れつつ、皮肉な目でこの夫婦を眺めているのだろう。でもそういう計算ずくの作品で、図式的なぶん、今となっては古さが目立つ印象を受けた。

 I didn't know what to do. I still don't know, on this Sunday morning, what I should have done. I guess I should have hit her. I said she couldn't do it. She said I couldn't stop her. I mentioned the children and she said this experience would make her a better mother. “When I took off my clothes,” she said, “I felt as if I had rid myself of everything mean and small.”

 私はどうしたらよいのか分からなかった。私はまだ、この日曜の朝にも、自分がどうしていればよかったのか分からない。彼女を叩けばよかったのだろうか。君にはそんなことはできないと私は言った。あなたがわたしを止めることはできないと彼女は言った。私が子供たちのことを持ち出すと、彼女はこのことを経験すれば自分はよりよい母親になれるだろうと言った。「わたしが服を脱いだとき」と彼女は言った。「わたしは自分がまるで、自分の嫌な、小さなところまですっかり脱ぎ捨ててしまったような気がしたのよ」

ポール・ボウルズの"Mejdoub"

 Paul Bowlesの"Mejdoub"を読む。
 "Mejdoub"とは「愚者」というような意味のアラビア語。この作品では、預言者として人々からもてなされる聖愚者の意味合いで使われている。
 奇妙な振る舞いをして預言を叫ぶ年老いた愚者が、人々からたくさんの布施を集めているのを見て、自分も真似をしてやろうと思い立った浮浪者の物語。彼は愚者の行く先々についていき、行動と言葉を学び取ってから、見知らぬ遠い街に出かけて、そこで聖愚者として「仕事」を始める。一夏でかなりの額を稼いで、雨期に入ると故郷に戻り、その金で家を買う。そんなことを何年も繰り返すうちに、遠方の街では聖愚者として有名になり、故郷の街では屋敷をいくつも構える大金持ちになるが、ある年を境に法律で放浪が禁じられると、彼は自分でも思ってもみなかった行動に出る、というお話。
 正直なところ、よく分からなかった。文章は平易で、面白く、すぐに読めてしまうのだが、結末に至るまでの経緯と、彼の心の変化がつかめない。結末自体は例によってとってつけたような、わざと酷薄にしてみせたような感じのもので、あまり重要とは思えない。その前の、子供たちとのくだりあたりがこの小説の焦点なのだろうと思うが、そのへんがうまく捕まえられないので、すごくモヤモヤする。
 これはまたしばらくたったら再読してみたい。

A man who spent his nights sleeping in cafes or under the trees or wherever he happened to be at the time when he felt sleepy, wandered one morning through the streets of the town. He came to the market place, where an old mejdoub dressed in rags cavorted before the populace, screaming prophecies into the air. He stood watching until the old man had finished and gathered up the money the people offered him. It astonished him to see how much the madman had collected, and having nothing else to do, he decided to follow him.

 夜を喫茶店や木のしたや、どこでも眠くなったときにいたところに寝て暮らしていたある男が、ある朝町の通りをうろついていた。市場にくると、そこではぼろを身に纏った一人の年老いた愚者が、預言をあたりに叫び散らしながら、人々の前を跳ね回っていた。彼は立ち止まって、その老人が騒ぐのを止め、人々が寄進した金を拾い集めるまで眺めていた。彼はその狂人の集めた金額を見て驚いた、そして他にすることもなかったので、彼は老人の後についていくことにした。

ウラジーミル・ナボコフの"A Russian beauty"

 Vladimir Nabokovの"A Russian beauty"を読む。
 きのう取り上げた"Razor"が、勝手に作り上げていたナボコフのイメージとは違う作風だったので、もう少し華のある話はないかと、試しに今度はこの「ロシア美人」を読んでみた。
 1900年生まれの貴族の娘が、ロシア革命により全てを失い父親と二人、ベルリンへと流れ着く。年老いた父はそこでなんとか仕事をみつけ糊口をしのぐが、娘のほうはそこにできた亡命ロシア人社会の友人たちと昔と変らぬのんきで浮わついた生活を送る。ところがやがて父親が亡くなると、彼女は困窮し、遊び仲間とのつきあいも途絶え、しまいには新しい靴下すら買えない有様になってしまう。そんなある日、かつての遊び仲間の裕福な夫人との再会をきっかけに、みたび彼女の運命は変わっていく、というようなお話。
 一人の美人の生い立ちを、大まかなあらすじのように年代順にざっくり語っていくので、なにか焦点が定まらない感じで、いつまでこの導入部が続くのか、ナボコフってこんなに語りに芸がないのかと、途中で飽き飽きしてしまったが、「物語」が始まるのを待ちわびつつ惰性で読み進んでいったら、そのまま終わってしまった。
 これは、主人公の生活の一コマを鮮やかに切り取ってみせるといったタイプの「短編小説」ではなく、短いながら「一代記」、大河ドラマみたいなものだったのだ、と最後になってようやく気がついた。
 結末に哀切な味があるので悪感情は帳消しになってしまったが、正直なところ魅力の薄い、ただ容姿がきれいなだけの人物の伝記だった。ナボコフは、革命で失われたロシアの貴族社会に限りない愛惜の情を抱いていたのだろう。だから、昔日の美しい世界を一人の美人の人生に重ね合わせて、さりげない筆致ながら悼んでいる。彼にとっては仲間内のはやり言葉も丁寧に引用する価値があるのだろうし、主人公の意志の弱い性格も愛おしいのだろう。
 
 Yet there was a time in her life, at the end of 1916 or so, when at a summer resort near the family estate there was no schoolboy who did not plan to shoot himself because of her, there was no university student who would not … In a word, there had been a special magic about her, which, had it lasted, would have caused … would have wreaked … But somehow, nothing came of it.

 「けれど彼女の人生には盛りの時期もあった、1916年かそこらの終わり頃、一家の領地にほど近い夏の保養地で、彼女のためにピストル自殺を企てない少年はいなかったし、そうしようとしない大学生もいなかったときだ。一言で言えば、その頃の彼女は魔法じみたきわだった魅力をまとっていて、それは、もしもそのまま続いていたならば、なにかの原因となり・・なにか、よからぬことを引き起こしていたかもしれないほどのものだった。しかしどういうわけか、そんなようなことは何事も起こらなかった」

 読後、人の運命を思い、しんみりとしてしまう、印象に残る作品ではあった。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。